中国でモバイル決済が普及した ”本当” の理由
1. 注目が集まる中国のモバイル決済
様々なメディアで取り上げられているように、中国の都市部では急速にモバイル決済が普及し、キャッシュレス社会になっている。そう、Alipay(支付宝)とWeChatペイメント(微信支付→WeChatの決済プラットフォームのことを「財付通(Tenpay)」と呼ぶ)のことである。自分も上海に来て銀行口座を開設し、Alipay・WeChatペイメントが使えるようになってからは、極端に現金を使うことが少なくなった。スマホと交通カード、この2つさえ持っていれば本当に財布なしで生活できる。むしろ店によっては現金で支払おうとすると嫌がられたり、或いは、現金自体受け付けていない店もあるレベルだ。
このモバイル決済が中国でこれだけ普及した理由について、最近立て続けに日本のメディアが言及している。しかし、いずれも的外れな内容なので(と思う)、今回はこの理由に対する自分の考えをまとめてみたい。まずは、2つのメディアの内容を確認する。
ダイヤモンドオンライン
Alipayが日本に進出するニュースに合わせて、中国でモバイル決済が広がった理由、日本でAlipayが普及するかをテーマにしている。 記事の大まなか内容は、モバイル決済は当初トラブルが続出、安全性が課題になっているが、中国ではそれ以前に偽札が出回っていることが大きな問題だった。多くの人が「現金が一番安全」と考えていて、AlipayやWeChatペイメントで使われているQRコードより更にセキュリティレベルが高いNFCを使ったモバイル決済も広がらない日本で果たして広がるのか?というものである。
つまり、中国でモバイル決済が広がった一番の理由は、ニセ札が横行していた為としている。
WEDGE Infinity
上記ダイヤモンドオンラインの記事に対するカウンターとして出されたのが、この記事だ。
この記事では、Alipayを運営するアントフィナンシャルの担当者のコメントに被せて筆者の主張がされており、大きく3つを要因に挙げている。
- 中国ではパソコンの時代を飛び越えて一気にスマホの時代が到来し(=リープフロッグ現象)、それと時を同じくしてモバイル決済も始まったのでタイミングが良かった。
- 莫大なマーケティング費用が投下された。
- 決済手数料が安い
話は少し逸れるが、この記事の中で触れられている下記コメントも非常に気になる。
我々外国人旅行者にとってもっとも印象的なのは鉄道切符の購入ではないか。かつては鉄道切符を買うのにも半日がかりだった中国だが、今では数分間、スマホを操作するだけで予約から決済まで終了してしまう。
外国人・旅行者は中国産のサービスを享受し辛いというのが私の考えだが、この件についてはまた別の機会でまとめてみたい。
2. ニセ札もスマホ普及も "背景" にすぎない
まずはじめに申し上げておくが、ダイヤモンドオンラインの記事も、WEDGE Infinityの記事も間違いだとは思わない。ニセ札問題も、一気にスマホの時代がやってきたことも要因の一つだろう。但し、それらはあくまでも中国でモバイル決済が広がった「背景」であって、主たる要因ではない。
莫大なマーケティング予算が投下されたことも同じだ。もし今、日本でモバイル決済を手がける会社がAlipayやWeChatレベルのマーケティング予算(いくら掛けたのか知らないが)を掛けたら、日本でもモバイル決済が中国並みに普及するだろうか?私には到底そのように思えない。これもあくまで間接的な要因に過ぎない。
決済手数料が安いことは間違いない。では、なぜ彼らはそのような手数料が実現できたのか?そこを考える必要がある。
ちなみに、私が考える「背景」を付け加えるなら、Alipay・WeChatが抱えていた大量のユーザー数を挙げる。
モバイル決済が本格的に広まり出したのは2014年頃からであるが、Alipayはもともと中国で圧倒的な規模を誇るアリババのECサイト、C2Cの淘宝(タオバオ)、B2Cの天猫(Tmall)を運用しており、更にそこでオンライン決済サービスを提供していた。Alipayが生まれたのは2004年であるが、そこから2015年時点でのAlipayの"アクティブユーザー"は2.7億人強ということである。
一方、中国版LINEとされ、今や中国のスマホの94%をカバーするメッセンジャーサービスのWeChatも、2014年時点で既に4億人強のユーザーを抱えていた。また、運営元のテンセントは、2005年からオンライン決済サービス「財付通(Tenpay)」をスタートさせており、2013年時点で利用者は2億人、Alipayに次ぐオンライン決済サービスになっていたのである。
両者ともにオフラインのモバイル決済をスタートさせる以前から、大量に未来の顧客を抱えていたという事である。しかし、これも私はモバイル決済が広がった「背景」に過ぎないと考える。
※ここで言う「オンライン決済」とは主に EC(electronic commerce)上での決済、「オフライン決済(≒モバイル決済)」はリアル店舗での決済のことを指している。
3. 鍵になったのは「清算機能」と「市場開放」
銀行と直接繋がることによって出来た清算機能
中国における伝統的な決済モデルは、カード所有者(ユーザー)、小売店、カード発行機関、加盟店管理をおこなうアクワイアラーの4者で構成されていた。カード所有者が小売店で支払いした後、カード発行機関とアクワイアラーの間の清算は銀聯などを通じておこなわれていた。
しかし、ECの出現&拡大と共にオンライン決済に対する需要が高まる。そこに登場したのが、AlipayやWeChat(財付通)などの「第三者決済組織」である。
第三者決済とは、一定の実績と信用を持つ第三者の独立機構が国内外の大型銀行と契約して提供する取引支援サービスをいう。この方法を通してなされる取引では、購入側が商品を選んだ後、第三者のプラットホームが提供している口座に代金を振り込み、第三者によって販売側に振込み完了の通知がなされ、その後商品発送となる。そして購入側が商品を受け取り、問題がないことを確認した後に、第三者にその旨を通知し、第三者は販売側に代金を振り込む。
AlipayやWeChat(財付通)などの第三者決済機関は、複数の銀行で口座を開設し、直接銀行と接続するによって、これまでの銀聯などの清算機関を経由せずにユーザー・小売店への支払いと清算の両方をおこなう新たな3者決済体系を構築した。
出典:BTMU(China)経済週報「中国決済市場の発展動向について」https://reports.btmuc.com/File/pdf_file/info001/info001_20151217_001.pdf
オフライン決済におけるアクワイアリング業務の解放
当初、第三者決済機関のフィールドはオンライン上のみで、オフライン(リアル)の決済は規制されていた。オフラインの世界は銀聯に独占されていたのである。
2002年に中国の銀行カード産業の発展を目的として設立された金融企業「銀聯」は、オフラインの店舗に銀聯マークの付いた銀行カードが使えるように、POS連動可能なカード読取機を貸し出し、加盟店の開拓をおこなってきた。これはこれで、銀聯のオフライン決済市場における役割は非常に大きかった訳だが…。
しかし、2013年7月、人民銀行(=中国の中央銀行)は「銀行カード収単(アクワイアリング)業務管理弁法」を公布して、第三者決済機関の "オフライン清算市場" への参入を緩和した。AlipayやWeChatが銀聯に対抗することが可能になったのである。これが決め手になった。
これがなければ、そもそもAlipayやWeChatがオフラインの決済市場に進出することはできなかった。2014年からモバイル決済が急速に広まったのは、このことに起因しており、その後、彼らは配車、紅包(お年玉)、デリバリー、コンビニなど様々なオフライン決済の消費場面に進出して行った。
これのなにがすごいのか?
人によっては、これの何がすごいの?と思われるかもしれない。しかし、これには日本のモバイル決済との決定的な違いがある。
「モバイル決済」と言っても日本には様々な種類があるが、楽天payにせよ、Origami payにせよ、ドコモのおサイフケータイをルーツとしたiDにせよ、既存の電子マネーをiPhoneに集約させる事ができるApple Payにせよ、基本的に日本のモバイル決済はクレジットカードのプラットフォーム上で成立している。彼らが担っているのはオフラインの世界における「支払い」機能のみであり、あとの「清算」は全てクレジットカードの仕組みで稼働している(※)。アップルが日本の各銀行と接続して、直接清算業務をおこなう事はできない(ない)。
※プリペイド型のSuicaやnanaco等は現金でもチャージが可能。同じくプリペイド型のLINE Payは、各銀行からの直接チャージが可能。
クレジットカードの世界には、ご存知のようにVISAやMasterCardのような「国際ブランド」、カードを発行する「イシュアー」、 加盟店開拓・管理をおこなう「アクワイアラー」がおり、さらにはCAFISに代表される決済システムを提供する会社などが存在している。プレイヤーが多いということは、当然、各社が収益をあげられるように手数料・利用料金は高くなるということである。日本のモバイル決済は、清算機能をクレジットカードに託さざるを得ないことに限界がある。
一方で中国のモバイル決済の場合は、清算機能を銀聯から奪い取り、支払いと清算を同じ会社で運用する(できた)ことによって、モバイル決済の壁を壊すことができた。(※下記イメージ図を参照)
4. その結果、実現できたこと
市場開放に伴い、清算機能まで持ったAlipay・WeChatをはじめとする第三者決済機関がオフラインのモバイル決済に進出したことによって、何がもたらされたのか?
まず、Alipay・WeChatペイメントの使い方を確認しておくと、①銀行カードとアプリを紐付け、登録したカードの口座から即座に引き落とすか、②プリペイドカードのようにアプリ内に事前にチャージ(友人から受け取る or 自分の銀行口座から移す)した金額から支払う、この2通りがある。
送受金機能
前述の通り、Alipay・WeChat ともに銀行と直接繋がっているので、Alipay・WeChatを介して、自由に自分の銀行口座のお金の出し入れができる。実際使ってみて一番便利だなと感じるのが、お金の「送受金機能」だ。
例えば、中国の飲食店では、日本のランチのようにグループで一緒に食事に行っても、一人一人個別清算はしてくれない。代表者が全員の金額をまとめて支払うことになる。立て替えてもらった人は代表者にお金を返す必要があるが、小銭がない。代表者もお釣りがない。そんな時、Alipay・WeChatなら即座に釣り銭の要らない丁度のお金を代表者に送ることができる。Alipay・WeChatに紐付けた自分の銀行口座から送金することも出来るし、チャージしておいた金額から送金することも出来る。
反対にお金を受け取った側も、Alipay・WeChatで受け取ったお金をすぐに現金化することが可能である。受け取ったお金は受取者のAlipay・WeChat上の仮想口座に保有していることになるので、これを受取者が紐付けている自分の銀行口座に「引き出し」を選択すると、即座にそのお金を銀行口座に移すことができる。
まぁ現実社会では、現金を使うことが極端に減っているので、都度自分の銀行口座に移さなくても、次に自分が支払いをする際にAlipay・WeChat上の仮想口座から支払えば済む話である。
格安の料金
日本の銀行で送金・振り込みをしようと思えば、同じ銀行であっても108円、他行に時間外に振り込もうなら数百円取られることはザラである。これが、Alipay・WeChatならほぼ無料で出来る。
最近になって、Alipayは2016年10月から累計2万元まで無料、それより超えて「引き出す」場合は0.1%のサービス料を徴収、WeChatも「引き出す」場合には手数料が掛かるようになったが、送金自体はほぼ無料であることには変わりない。
なぜこんな金額で送受金が出来るのかと言えば、前述の銀行と直接繋がった清算ネットワークに他ならない。Alipay・WeChatと銀行の間に他のプレイヤーがいないので、コストを最小限に抑えられているのである。さらに彼らは、ユーザーがAlipay・WeChat上にプールしているお金を銀行に預けることで、そこから得られる利息を主要な収益源にもしている。2016年にはその預け入れられている資金が5,000億元を越えたという報道もあり、別の問題にもなっている(※後述)。また、何億人というユーザーが何にいくら使ったという購買データ、送受金という時にSNS以上に強いユーザー同士のつながり情報など、彼らの多様なビジネスに生かせるマーケティングデータ(BIG DATA)を獲得できるという側面も挙げられるだろう。
加盟店にとってのメリット
上記2つはいずれもユーザー視点でのメリットを挙げたが、これはAlipay・WeChat決済を受け入れる側の加盟店・小売店にとっても同じメリットを享受できる。
モバイル決済の受け入れ方には小売店のPOSと連動させる方法、専用端末でユーザーのQRコードを読む方法などいくつかあるが、最も手軽なのは、小売店のAlipay・WeChat上の仮想口座のQRコードをPOPで貼っておく方法である。
中国の小売店や飲食店に行くと、よく下記画像のようなQRコードを目にする。これらはその店のAlipay・WeChat上の仮想口座を表している。使い方は、ユーザーがこのQRコードを自分のAlipay・WeChatで読み取り、支払う金額を自分で入力、受取人である小売店へ送金する。そう、先ほどのC2Cの送受金機能がそのままB2Cに活用されているのである。
ちなみに、路上で商売しているような屋台だともっと酷い。QRコードすら貼っていない。その場合は、屋台の店主とその場で友達になって送金するという日本人には信じられない流れとなる。
※2017年9月3日20時30分訂正 店主と友達にならなくても送金可能だそうです。失礼しました。
出典:FeliCaよりお手軽? QRコード決済の実態を中国・深センに学ぶ:モバイル決済最前線 - Engadget 日本版
加えて、小売店側の負担費用も劇的に安い。WEDGE Infinityの記事にあるように、ユーザースキャン型だと手数料は無料、以外でも平均0.6%ということである。日本のクレジットカードだと、大手小売店でも1〜3%と言わている手数料から比べると破格の値段だ。
初期投資も、POS改修をおこなわない最も手軽な方法だと、QRコードが書かれたシールを貼るだけ。日本のモバイル決済のように、読取用の専用リーダーやタブレットを用意する必要はない。ダイヤモンドオンラインの記事が指摘しているように、確かにNFC等を使った決済の方がセキュリティは高いし、安全だろう。しかし、それでは受け入れる小売側の負担が大きくなり、対応できる店舗が限られてくる。技術的には劣り、且つ、使い古された技術のQRコードであっても、モバイル決済を拡大させる為には欠かせない機能だったのだ。
これらの要因によって、大手小売店・飲食店に限らず、無数に存在する零細小売店・飲食店にもAlipay・WeChatの受け入れが広がっていき、中国の都市部ならどこでもモバイル決済が使える環境が整ったのである。
5. 今後どうなるのか?
だいぶ長くなってしまったが、最後に懸念事項にも触れておく。
急速に拡大した中国のモバイル決済市場だが、当初市場を解放した人民銀行が再び規制に乗り出す。主な理由としては、①資金の流れが不透明になり金融監督業務が困難、②金融規制の範囲外で顧客の預入資産が運用に回されている、この2点らしい。詳しくは下記サイトを参照いただきたい。
対策として、清算機関「網聯(wǎng lián ワンリエン)」という組織が新たに設立される。網聯は、AlipayやWeChatなどの第三者決済事業者と金融機関の間に入り、それぞれの取引を仲介することを目的にしている。この網聯が間に入ることによって、銀聯を経由しないで直接銀行と接続する3者モデルが廃止されることになる。
AlipayやWeChat側の視点から見ると、良く言えば、個別に金融機関と接続する必要がなくなって網聯のみに接続すれば良い(※主要な金融機関とは既に接続済みだが…)、悪く言えば、プレイヤーが増えることによるコスト増や独占していたデータの開放が懸念される。恐らくAlipayやWeChatの本音は「余計なお世話」ということだろうが、そこは中国。国が言っていることには逆らえないというのが実態だろう。
この網聯だが、AlipayやWeChatも約10%ずつ出資して、主幹者としての立場を保っている(※下記参照)。この網聯の登場によって、中国のモバイル決済が今後どう変化していくのか注目である。